2009年12月11日金曜日

プロ論

日本を代表するアニメーション監督の一人、富野由悠季(とみのよしゆき)氏のお話。
「お前らの作品は所詮コピーだ」-富野由悠季さん、プロ論を語る

氏が全身から発するメッセージは常に真剣である。
そして(これは私の感想だが)、氏は全くあきらめていない。
何を?と聞かれると困るが、とにかく、あきらめていないのだ。
なぜ、そう感じるか。
それは、眼が輝いているから。輝きながら、遠くを見据えて、それを捉えようとしている。


また、講演の内容も、普通なら話さない、教えてくれないものばかりだ。
そんな企業秘密を、おしげもなく、次の世代に渡そうとしている。
と同時に、ハッパもかけている。
「お前ら、そんなところでヨチヨチしてるんじゃねえ、立ち上がれ!」と。

与えることができる、余裕。
それができる人間こそ、本当のプロなのかもしれない。


富野氏の話は、深く、熱い。以下興味のある方はぜひ。
『僕にとってゲームは悪』 (IT media News)

『富野監督、東大でスペースコロニーをぶったぎる!』(IT media News)

『世界名作劇場になったガンダムなんて見たくない』(4Gamer.net)


2009年12月2日水曜日

おっさんホイホイ

『おっさんホイホイ』とは、おっさんを対象にした動画につけられるタグ、だそうだ。
ニコニコ大百科より)

館長が子どものころ-。

学校が終わり家に帰ってランドセルを置くと、近くの駄菓子屋さんにダッシュした。
駄菓子屋さんでは甘納豆を食べ、ストローに入ったカラフルなゼリー、うまい棒、チョコバット、キャベツ太郎、そして30円のサラミをペプシで流し込むのだった。

(C)やおきん

そうそう思い出した。店に入ってまず買うのは、ボタンを押すと出てくる色付きのガム。
出てくるガムの色によっては10円、50円、100円分の駄菓子と交換できた。
確か1回10円だったと思うが、あわよくば10円で100円分の駄菓子が手に入るのだ。
その日の運を占う、おみくじ的要素が楽しかった。

あと、当時の「うまい棒」を手に持ち、太ももでバン!と下側から突き上げると自動的に中身が出てきたなあ。今は包装が丈夫になってできないみたいだけど。靴底でマッチをこすって火をつけるみたいなかっこよさがあった。

冬はストーブの上でよく、イカ姿フライを焼いたが、ペプシとの相性が最高によかった。(ストーブは、座敷にあり、靴を脱いでその座敷に上がることができるのは高学年のみ、という暗黙の掟があった)


あなたの街にもまだ駄菓子屋さんがあるかも!?
全国駄菓子屋さんMAPはコチラ


マンガば「コロコロコミック」をよく読んだ。
「ゼロヨンQ太」、「ラジコンボーイ」、「釣りバカ大将」、あと「あほ拳ジャッキー」とか。

コカ・コーラのキーホルダーも凄く流行った。みんな持ってて、欲しかったけど、僕は結局手に入れることができなかった。

ゲームウオッチは「バーミン」。モグラ叩きのやつ。
カシオのゲーム電卓のボクシングも面白かった。

プラモデルはなんといっても、ガンダムシリーズ。
好きだったのは、ズゴック、アッガイ、ゴック、ゾック(水陸両用系ですね)
ムサイも渋くてかっこよかった。(コムサイも忘れずに)

「ロボダッチ」も夢があった。パッケージのイラストは秀逸だった。
「宝島」、「軍艦島」、「柿の木」とか。

ファミコンもソフトをたくさん持っている友達の家に遊びに行きまくった。
「スペランカー」とか「チャレンジャー」とか。「グーニーズ」もよかったなあ。

ボードゲームはなんといっても、バンダイの「お化け屋敷ゲーム」。
「アスレチックランドゲーム」もよくやった。



(C)ilinjp01

外でもよく遊んだ。暗くなるまで遊んだ。
「S」という遊びは、怪我人続出で遊ぶという行為が禁止になるほどだった。

アニメ番組も充実していた。
「ルパン三世」、「スペースコブラ」、「釣りキチ三平」とか。
土曜日は「ザブングル」、「まんが日本昔ばなし」、「8時だよ!全員集合」。
晩御飯がハンバーグ、肉詰めピーマンの時は最高にうれしかった。

あと、忘れてはいけないのが、アドベンチャーゲームブック。
I.リビングストン、S.ジャクソン。
「死のワナの地下迷宮」とか。

(C)社会思想社

あの頃は毎日がほんとうに、楽しかった。
素晴らしい物やアニメ、映画、夢中になれる遊びに囲まれていたんだなあ。
Older Post Older Post